正式なブログは2018年以来となりますが、復活させるために試験中です。

それで、こういう業界紙の取材は嬉しかったりもしますが、一方で私も別に教育や勉強のこと、それから経営のことばかりやって生きてきた人間ではないので、「塩田(私)=塾」みたいに誤解されないように、色々と発信していきたいという思いがあります。
塾経営や教育に携わっていることは決して私の全部ではないのですが、ついつい表面上だけのことを見られた場合、すぐにそう思われがちだからです。
ところで、大学時代は勉強もある程度頑張りましたが、趣味のスノーボードやサーフィンに夢中でした!
今より圧倒的にガソリンが安く、また時間もあったので、下道でよく兵庫県北部や東海地方、そしてバスや飛行機で信州や北海道などにも遠出したことを覚えています。
バイトも最初はアクセス抜群三宮駅前「北野坂壱番館」3Fにあった「ピアチェーレ」というイタリア料理店で厨房(ときどきホールも)のバイトをしていました。

それから、単発のバイトでしたが、完成したばかりの大阪ドーム(現京セラドーム大阪)で、こけら落としとして、globe(グローブ)のコンサートがあり、スタッフのバイトをしたことが思い出です。
ライブ中はステージの正面真ん前でスタッフジャンパ―を着てペンライトを持って通路に立っているというおいしいバイトでした!
基本的に小室ファミリー育ちなので当時はなんの違和感もなく、当然「お前もやりたいやろ!?」みたいな感じで中学・高校と仲のよかった友達に誘われて「マジで!?ありがとう!!」みたいなノリでした。
当時は何も分かりませんでしたが、今となっては伝説のコンサートとしてDVDが発売されているくらいのビッグイベントだったらしく、後からわかったことですが、貴重な経験だったと思います。
それで、イタリア料理店が閉店したので、学校が遠くてもできるバイトとして、家庭教師をはじめたわけです。
ということで、別に勉強が好きだったわけではなく、でも大学での主体的な学びは楽しくて、有意義でお気楽な大学時代だったと思います。
転機は就職活動でした。
やはり就職超氷河期でしたので、新卒で入社してからも、社会の荒波に揉まれたことは事実です。
そのあたりから、ハングリー精神みたいなものに火がついたのだと思います。
ですので、塾を始めるに至った経緯というか原動力になったものは、やはり社会に出てからの当時の実社会の過酷さというか厳しさが自分自身をそうさせていったのだと思います。
日本中の大企業がバタバタと倒産するような、今では考えられないような不況でしたから、そういった影響を一番に受けている世代なのかもしれません。